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●駅弁コラム                   ●駅弁コラム(過去掲載分)

「駅弁大会に思う」 2004年2月8日
 
 既にピークは過ぎつつありますが、昨年の秋口から各地で大小様々な駅弁大会が催されています。
「駅弁の甲子園」とも言われる京王百貨店の「第39回有名駅弁と全国うまいもの大会」は、過去最高の売上を記録し、各地の百貨店などで開催される駅弁大会も規模の拡大が多く見られます。
 私も京王百貨店を始め、いくつかの駅弁大会に出向いてきましたが、「駅弁」の置かれた現状を考える上で、「駅弁大会」は見過ごせない存在になっているように感じました。
 今回は「駅弁大会」について書いてみたいと思います。

 実は私、少し前まで「アンチ駅弁大会」派でした。理由は至って簡単ですが「現地で食べない駅弁なんて邪道だ」と言うものです。
 恐らく、同じような理由で駅弁大会を拒否している駅弁趣味者の方も、決して少なくはないと思いますし、これが正論であることも多くの方が認めるところかと思います。

 ではなぜ、否定から肯定に変わったのかと言うと、理由はいくつかあります。
 ひとつは、現地で美味しかった駅弁との再会を手軽に楽しめる、ということです。私も、今は普通の人より相当多く旅に出ていますが、以前からそうだった訳では無く、また、今後もこのペースで旅に出続けられるとは限りません。
 ところが、その中で印象深くもう一度食べたいと思う駅弁は数多くあり、それらを常に現地へ食べに行くのは現実的に難しい、と思うからです。
 それに、需要の無いところには商売は成り立たない訳で、これだけ各地の駅弁大会が盛況なのは、なかなか旅に出られない無聊をせめてこれで慰めようという気持ちの現れだとも思います。

 もうひとつの理由は、この「駅弁大会」が、多くの駅弁が存続するために欠かせない条件になっている、それに気付かされたためです。

 鉄道と駅弁を巡る環境が激変して、各地の調製元の経営が決して楽ではない現状は、前回のコラムで書きました。それを裏付けるように、各調製元の現状を見ると生き残りのために必死の思いで駅弁以外にも軸となる事業を作り上げています。個々に挙げればキリが無いので記しませんが、今や「駅弁一本」という調製元はごく限られた存在であります。
 そのような状況下でも、多くの調製元は自社の商売において駅弁の占める割合が低下しても、「基本は駅弁」「駅弁があったからこそ今の会社がある」との気概を示してくれています。

 しかし、冷静に考えて見ると「儲からなければ商売ではない」のも事実です。前述した通り「駅弁一本」で商売が成り立ちにくいのなら、なぜ「駅弁」を作り続けるのでしょうか。と言うより「続けられる」のでしょうか。
 代々続いた生業に対する誇りや、地域の食文化の担い手としての自負があることは、間違いないと思います。
 しかし、駅での売上が年々減少し採算が難しくなっている、となると、現実的な問題として駅弁大会の売上が存在感を増してきます。
 売上に占める割合がどの程度かは、各社事情が違うので一概に論じられませんが、少なくとも「売れ残りが無い」「返品が無い」という点は、通常の駅売りや車販への委託販売に比べて、ロスの無い商売であることは確かです。

 駅弁大会に参加するには、当然のことながら「駅で売られている」ことが最低条件な訳で、そのために駅売りを止めないでいる、と言っては言い過ぎでしょうか。ただ、綺麗事では商売は成り立たないので、理由の一つではあると思います。
 駅弁大会が無かったら、調製元の減少傾向は更に拍車がかかっていたかも知れません。

 さて、このような話まであえて書いたのは、その事情を踏まえた上で、それでも書いておきたいことがあるからです。
 先程「駅で売られている」ことが最低条件、と書きましたが、現実にはそうでない品が少なくありません。これらにはいくつかのパターンがあって、次のような分類が出来ます。
(1)昔は通常通り販売していたが、販売数量の相対的な減少で採算ラインに乗らないため、駅弁大会や大量の予約があった時のみ販売する。
(2)駅弁大会向けに企画・開発した商品で、予約があった時のみ販売する。
(3)駅弁大会専用商品で、通常の販売は行わない。

(1)については、時代や環境の変化で止むを得ない点があると思います。それでも、このような機会で味わえる場が残されているだけでも良しとすべきでしょうか。
(2)についても、主たる市場は駅弁大会であっても駅で買える手段が残されているのであれば、許容範囲と言えるかと思います。
しかし、どうにも納得出来ないのは(3)のようなケースです。

 駅で売られていない物が果して「駅弁」と呼べるのでしょうか。それぞれに事情はあるのでしょうが、私は「駅弁」というブランドへの背信行為にさえ思えます。
 かつて、長い道中に旅人を支えるための必需品だった駅弁、それは紛れも無く「実用」の品でした。時代が変わり、「実用」の度合いは薄れて、「旅情」や「楽しみ」の要素が強くなってきています。
 しかし「駅弁」の本当の価値は何であるかを考えると、私は「実用」という中で課せられた制約を、いかにして乗り越えてきたか、その歴史と研鑚の積み重ねのように思います。
 長時間の持ち運びに耐え得る品質、冷めても味の落ちない味付けなど、これを各調製元が知恵を絞り、幾多の経験を重ねて出来たのが「駅弁」ではないのか、と思います。果たして、駅で売らないことを前提とした品を「駅弁」と呼べるのか、私は非常に疑問です。
 今や「駅弁」はひとつのブランドとして認知された感がありますが、ブランドには厳しい定義付けも要求されます。食品に対して消費者の目が厳しくなっている時代に、「実は駅では売られていない」ということが許されるものか、真剣に考える必要があるように思います。

 もうひとつの問題として、果たして「駅弁大会」は本当の意味で駅弁のためになっているのか、という疑問もあります。
 先日、ある有名駅弁を擁する調製元の方が、地元経済誌に寄稿された文章を読む機会がありました。
 これまで輸送駅弁や実演販売にに力を入れて来た調製元の経営が苦しいことに触れた一節で、次のような趣旨の文章がありました。

「地元のスーパーや百貨店でいつでも買えるものを、誰がわざわざ現地で買うのでしょう」

 輸送環境や調理技術の進歩で、多くの駅弁を居ながらにして食せることを否定するつもりはありません。しかし、上の文章にあった指摘も多くの旅行者が抱く正直な気持ちではないでしょうか。
 お金と時間をかけて遠くまで行く訳ですから、それに見合った楽しみ方をしたいのが旅行者の人情です。現地でなければ味わえない食材や料理は星の数ほどあり、それに対しシーズンになればいつでも地元で手に入る駅弁とを比較したとき、積極的に駅弁を選択するのは苦しい気がします。
 北海道は森駅の「いかめし」のように、もはや駅弁の枠を越えて実演販売が売上の大部分を占める商品程になれば話は別ですが、駅弁大会のシーズンは約四カ月、それ以外は現地での売上が欠かせないはずです。だとすると、「名前を売る」という意味で駅弁大会の持つ役割と、「現地だからこそ出来ること」の役割分担があって然るべきではないでしょうか。
 駅弁大会の場所で、「そこで売れれば良し」で終わらせずに、そこにもうひとつ「現地に赴きたくなる」付加価値が必要ではないのでしょうか。

 現地へ行かなければ味わえない品があるのであれば、現地ではこんな駅弁もあるんですよ、と言った案内・PRのしおり(割引クーポンがあってもいいと思います)を入れておくとか、通信販売を行っている駅弁であればそのご案内を入れるなど、もっと工夫があって良いように思います。全く工夫が無いとは思いませんが、もっと印象付けるものが欲しいと思います。
 特に輸送駅弁では、作り手とお客さんの接点は「商品」にしかありません。もちろん、その商品が全てを表していることは事実ですが、作り手の顔が見えるような、作り手の想いを伝えることで、味わいや思い入れはもっと深いものになるのではないでしょうか。
 せっかく「宣伝」する機会があるのであれば、それを最大限に活用しつつ、同時に「現地へ行ってでも、これを食べてみたい」とか「もう一度これを食べたい」という気持ちを持ってもらえるか、という点にもっとこだわって欲しいと思うのです。
 
 構造的な問題で多くの駅弁と調製元が苦境に立つ今こそ、駅弁大会という機会のフル活用と、同時に「誘客」の道筋作りに知恵を絞って欲しいと思います。
 
 最後になりましたが、今シーズンの駅弁大会も残すところあと一カ月です。この機会により多くの駅弁が、多くの人の手に取られることで「駅弁」の活性化につながることを願って止みません。
 供給する側の調製元各社においても、最後のひと頑張りでこの繁忙期を無事に乗り切られることを、お祈り申し上げます。

                ●駅弁コラム(過去掲載分)


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