最初のページ更新履歴当サイトのご案内です駅弁をお探しの方はこちらへ掲示板です
駅弁に関する話題駅弁についての読み物ですリンク集ですご意見・お問い合わせはこちらへ


駅弁についての読み物です    
●駅弁コラム              ●駅弁コラム(過去掲載分)

「実態の無い駅弁」 2004年5月24日

 静内駅の駅弁が復活した、という話を耳にしたのは昨年の秋頃、とある駅弁大会での購入報告を目にした時でした。
「日高名物北海いかめし」「子持ししゃも昆布めし」「襟裳黄金はらこめし」「襟裳うにイクラ蟹弁当」の四種類ですが、初めて見たときから、違和感を拭えないものがありました。
 今回は、この静内駅弁の話題について書いてみたいと思います。

 最近、何年も前に駅弁販売が中止された駅で、駅弁が「復活」したり、過去に駅弁販売が無かった駅で「新登場」する事例が増えています。
 その多くは町おこし、地域起こし型の取り組みから生まれたもので、SLなどの特別列車の運行を記念してとか、地産地消、スローフードなどの取り組みを背景にしたものです。
 これらは純粋に、現地での観光客誘致や話題作りに「駅弁」が持つ力を活用しようというもので、歓迎すべき動きだと感じています。

 ところが、今回復活したとされる静内駅の駅弁はどれにも当てはまらない物でした。それは「駅弁大会出品用」として作られた物だからです。
 つまり、現地での販売は予約を入れても、複数個で注文しても、一切購入することは出来ない、という物だったのです。
 これまでも、現地では販売されない「催事専用」とされる駅弁は、少なからず存在していました。しかし、その品の販売は無くても、駅弁販売の実態はあって、たまたまある特定の品だけが「催事専用、現地販売無し」だったのです。

 これは、今月上旬に北海道へ渡り、各駅の販売状況を一通り見て来たのですが、静内駅もその対象に入っており、その際に判明した事実です。
 日高本線、そして静内駅という立地条件では、それほど駅弁が売れる状況に無いことは理解出来るものの、全くもって販売の実態がないとは信じられない思いでした。
 基本的に駅で売られているから「駅弁」なのであって、販売実態の無いものがなぜ駅弁として売られてしまうのか、非常に腹立たしい気持ちになりました。
 かつての駅弁調製元であり、今回復活したとされる品にもその名前がある地元の調製元は、現在でも駅構内でそば屋を営んでおり、せめて曜日限定や、季節限定でも販売出来ないのか、とも思います。
 これは実際のところ、調製に同社は関わっていないという事実があって、売りたくとも売れない、ということのようです。

 それでは、どこがこの一連の品を製造・販売しているのかと言えば、静内からは遠く離れた駅を拠点とする、大手調製元とされています。
 この会社は、道内各地の調製元と提携して、全国各地で行われる駅弁大会向けに様々な商品を提供し、ています。この取り組みによって、遠方でなかなか接する機会の少ない、北海道の駅弁を手にする機会が増えたことで、道内駅弁全体の活性化につながっていることは事実かと思います。
 また、駅弁販売が途絶えて久しかった富良野駅(現在は休止中)や留萌駅に駅弁を復活させてみたりと、常に新しい話題作りに熱心な会社でもあります。

 しかし、だからと言え「販売実態の無い駅弁」を作って良い、ということでは無いと思います。
「駅弁」のあるべき姿や、駅弁大会の是非についてはコラム「駅弁大会に思う」で書いた通りなので、ここでは割愛しますが、このような行いが駅弁のためになるのだろうか、という思いでこの文章を書いています。

 基本的に、駅で売られていない品を「駅弁」とは呼べない、これは当処に限らず、多くの駅弁ファンやそれ以外の方でも共通した認識だと思います。
 過去に実在した「とりめし」などとは今回の品は全くの別物であり、しかも地域性すら無視して、売らんかなと言う姿勢しか感じられない品を「駅弁」と称することに、憤りすら感じます。
 
「物を売る」ということは簡単なことでは無く、売るためにはあの手この手が必要であり、時として「何でもあり」で臨まなければならないときもあることは、私も理解しているつもりです。
 しかし、道義というものも持ち合わせてしかるべきで、「やってはいけない」部分が必ずあるはずです。今回の事例は、まさにその「やってはいけない」一線を越えているように思えてなりません。
 昨今の偽装表示問題で食品への信頼は大きく揺らぎました。それだけに供給する側には、より一層真摯な姿勢が求められているのではないでしょうか。
 このような事例が許されるのであれば、それこそ駅と駅弁マークを付けられる調製元さえいれば、どこにでも駅弁は作れてしまう訳です。

 全国各地で、交通環境の変化や供食手段の多様化で、多くの調製元が苦境に立たされています。それでも、「駅弁屋」という暖簾を、そして文化の域にまで達している駅弁を守るために奮闘している多くの調製元に対して、これはあまりにも失礼な行為ではないかと思います。
 同時に「駅弁」という言葉に旅情を感じて、これらの品々を購入した人達が、この事実を知ったとすれば、どのような思いを抱くでしょう。
 単にこの品々にとどまらず、駅弁全体の印象に悪影響を与えるのではないか、と私は思います。
 現実に知り得る機会が有るか無いかではなく、姿勢を問われる問題のように思います。

 一方で、現実に静内駅で別の調製元が販売している非公式な駅弁「日高つぶめし」は地域色豊かな、味わい深い一品であるのは、嬉しく思うと同時になんとも皮肉なことだとも感じました。
 本来は「道の駅弁」として登場したものが駅でも売られるようになった、とのことですが、駅弁マークは付いていなくとも、これこそ正しい「駅弁」なのでは、と感じました。

 最後になりましたが、駅弁全体の活性化のためには、常に新しい試みが必要であり、試行錯誤もあって然るべきと私は思います。しかし、原点や基本を見失なって衰退した事例も数多くあります。
 もう一度「駅弁」の原点を見つめ直した上で、新たに意欲的な取り組みが広がることを期待して止みません。

                ●駅弁コラム(過去掲載分)


最初のページ更新履歴当サイトのご案内です駅弁をお探しの方はこちらへ掲示板です
駅弁に関する話題駅弁についての読み物ですリンク集ですご意見・お問い合わせはこちらへ